私は、仕事で電車に乗ることが多いのですが、都心の電車はコロナ禍でも朝夕のラッシュ時など隙間がないほどギュウギュウになります。
そんな状態ですから、座席を確保することは至難の業で、大抵は立ったままつり革をギュッと握りしめ、次の駅まで耐え忍ぶことになってしまいます。さらに背の低い女性などは悲惨で、つり革につかまることもできず、四方八方を人の壁に囲まれ強制的なおしくらまんじゅう状態を強いられます。
人々の体温と暖房であたたまった、なんとも生ぬるい車内でそのような状態ですから、それはそれは辛いものなのです。さいわい私は平均よりも身長が高く、そんな密集の中から頭ひとつほど顔を出せるので、上澄みの新鮮な空気を求め、水面から顔を出す金魚のようにパクパクと呼吸をしながらしのいでおります。
そんな満員電車の中では人々の過ごし方も様々です。次の駅までじっと耐え忍ぶ人、音楽を聴き自分の世界に閉じこもる人、腕を縮めて小説を読む人、スマホで動画や映画を観る人、SNSをチェックする人、そして、LINEなどで誰かとメッセージをやり取りする人、大体の過ごし方はこんな感じです。
何故そんなことが分かるかと言えば、私は頭ひとつ出ているので、そのような人々の様子が自然と目に飛び込んでくるのです。
そして、以前より少しだけコロナの状況が良くなり、徐々に日常が回復してきたある日のこと。私は久しぶりに電車に乗りました。一時は電車もガラガラになったのですが、ようやく通常運転に戻り、その日は何ヶ月かぶりの満員電車でした。それまではあんなに嫌な満員電車だったのですが、どこか懐かしい感じすらするから不思議なものです。いつもの日常がこんなに喜ばしく感じたことはありません。
そんな中、私の前にいる女性が誰かとLINEをやりとりしておりました。誰とやりとりしているかは分からなかったのですが満員電車の中、黙々と指を動かしておりました。すると、その女性のLINEの文面がちょうど私の目に飛び込んできました。(…決して盗み見したわけではありません。先に述べたように、頭ひとつ背の高い私は、そういったやりとりを意図せずとも目撃してしまうことがあるのです。そう、そんな流れで拝見したということにしておいてください。)そのLINEは、こんなやりとりでした。
「@@さんが病気になって休職するんだって」 「メンタルやられちゃったんだね」 「仕事のストレスだよ」 「絶対✕✕さんのせいだよ、かわいそう」
(“やけに詳細に覚えてるじゃないか”“完全に盗み見だろ”なんて言わないでください。目に飛び込んで来たやりとりが、実に深妙なやりとりだったので忘れられなかっただけなのです。)
私は電車に揺られながら、“この人の職場はきっと大変なのだろうなぁ”と思いました。私は、ふと気になって、私の周辺でLINEをやり取りしている他の乗客たちの様子を見てみることにしました。すると…
・「今、別の仕事を探してるんだけど、なかなか見つからなくって」 ・「親が入院しちゃって」 ・「○○ちゃんが離婚したみたい」 ・「親戚の@@さんが亡くなった」
そうなんです、周りの人たちのLINEのやりとりも明るい話題がまるでなかったのです。私はそんな状況を見て、ハッとしました。世の中の人々はみんな多かれ少なかれ、何かしらの苦悩を抱えて生きているんだなぁと実感しました。(すみません、これは盗み見かもしれません…)
ある人は人生が思い通りにならないと苦しみ、またある人は人間関係が上手く行かないと悩み、また別の人は病気を患って苦しみ、さらに別の人は時の流れと共に老いていく自分に悩む。きっと誰もがそんな悩みや苦しみを抱えて生きているのに、日常はそんな姿を極力見せないように振る舞っているだけなんだと気付かされたのです。まさに仏教の「生きることは苦しみ」という教えをわずかな時間で実感した瞬間でした。
あなたの悩みや苦しみも、きっとあなただけじゃなく、同じように悩み苦しみ生きている方がたくさんいると思います。「なんで私だけがこんなに不幸なの」なんて台詞をドラマなどで耳にしますが、私だけなんてことは決してないのです、みんな何かしらの不幸を背負って生きているのです。
人生とはそんな不幸をしっかりと受け止めながら、少しの幸せを探し続ける旅なのかもしれません。だからこそ、自分が幸せを感じられる時は、周りの人々に少しでも幸せのおすそ分けをする努力が必要なのではないでしょうか。なぜなら、ほとんどの人々は苦悩の中に生きているからです。
そんなことを感じた一日でありました。
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