凍った都会の雪道で気付かされたこと

生きるヒント

先日、久しぶりに東京にも雪が積もりました。

7~8センチほど積もったでしょうか、雪国に比べれば大した量ではないと思いますが、電車の遅れや運休なども出たようです。

次の日、大きな道路は雪もすっかり無くなり、歩道の傍らに雪が積まれた場所がチラホラあるような状態まで復旧していました。

そんな中、私があるマンションの前の道を通りかかった時です。そこは建物の北側にあり、日当たりも悪かったようで、まだ昨日の雪が残っていたのです。

そしてエントランスの前は、積もった雪が人に踏まれて凍り、ツルツルの状態になっておりました。(ツルツルの状態と聞いて、今、私の頭を見た方失礼ですよ。(笑))

普段ならマンションの管理人さんがすぐに除雪などされるのでしょうが、まだ年明け早々だったこともあってか、お休み中だったのかもしれません。

そもそもマンションの前とは言え、一般道なので管理の対象ではないかもしれませんが凍った道がそのまま放置されていたのでした。

道を通る人は、凍った道に足を滑らせないよう、慎重に小刻みに足を動かしながら進んでいました。時には危うく転倒しそうになる方もいらっしゃいました。

私自身もそんな光景を目の当たりにしながら、「慎重に、慎重に…」と、心の中でつぶやきながら歩いていました。

すると、その凍った道をシャベルでカンカンと削りながら、雪かきをしている1人の男性がいらっしゃいました。40代半ば~50代くらいの年齢でしょうか。

さらに、その横では4~5才くらいのお子さんが、植栽に残るまだ柔らかい雪で、雪だるまを作っていました。

おそらくこの道を通った誰もが、凍った雪をなんとかしたいと思ったに違いありません。しかし、それまでは誰も雪かきをやっていなかったのです。そんな中、自ら率先して雪かきを行う姿はとても輝いて見えました。

男性は、固くなった雪を少しずつ少しずつ削り取るように取り除いていきます。すると、そのうち横で雪だるまを作っていたお子さんが雪かきを手伝い始めたのです。

私はそんな光景を見て、お釈迦様のこんな言葉を思い出しました。

「他の人に対して教えるのと同じように、自分も実践するなら、そうやって自分を正しく制御した人こそが、他者を導くことができる。」

元々は仏教の指導者に向けての言葉ですが “口だけなら何とでも言えるが実践するのはとても難しく、自分を制御し、教えていることを自らも実践できる人こそが他者を導くことができるのだ”という教えです。

雪かきを誰かがやればいいのにと思うのではなく、自ら率先して行うことで、他者つまりお子さんが同じように雪かきを始めたのではないでしょうか。

まさに何も語ることなく、自らの姿によって他者を善い行いへと導いたのでしょう。

世の中には、自分は何もせず、「あれをやれ」「これをやれ」と他人に指図ばかりする方がおります。皆さんの周りにもこんな方がいらっしゃるのではないでしょうか?もしかしたら、あなた自身がそんな人になってはいないでしょうか?

しかし、お釈迦様は、口で言うのではなく、自ら実践することが必要なのだと。そういう人こそが本物の指導者になれるのだとおっしゃっておられます。

ふと、そんな言葉を思い出したのですが、私は仕事へ向かう途中でしたので手伝うこともできず、二人に「ありがとうございます。」とだけ言ってその場をあとにしました。

次の日、私は再びそのマンションの前を通りました。すると、昨日まで道を覆っていた雪はまったく残っておらず、道はすっかりきれいになっていました。

一人できれいにできる量ではなかったので、私はきっとあの方の行いが、たくさんの方を雪かきに導いたのだなと思いました。私は、そんな事を思いながら、雪ひとつない道を有り難く歩かせていただきました。

そして、何気なくマンションの植栽を見ると、何かがポツンと置かれてありました。よく見ると、お子さんが作ったあの雪だるまです。私がその日いち日とても気持ちよく過ごすことができたのは言うまでもありません。

皆さんも進んで善い行いを実践してみてはいかがでしょう。きっと誰かに幸せを運ぶはずです。

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